宮城県多賀城跡出土品
みやぎけんたがじょうあとしゅつどひん
概要
多賀城跡は、陸奥国府 ・鎮守府が置かれ、古代国家における北辺の政治・軍事の中枢として、奈良時代から平安時代(8〜11世紀頃)にかけて機能した古代城跡である。
政庁跡や多賀城廃寺跡から出土した瓦類は、瓦葺建物の存在だけでなく、多賀城碑によって伝わる神亀元年(724年)の創建年代も裏付ける。また、文様の変遷によってⅠ〜Ⅳ期に編年され、藤原朝獦による大規模改修(726年)、伊治呰麻呂の反乱(780年)、貞観大地震(869年)による建物の修築や再建に対応すると考えられている。
墨書土器には、「大垣」・「曹司 」・「厨」・「寺」など施設の名や性格を、「介」・「目」・「火長」など官人の身分や職名を、「黒川」・「名取」・「信夫 」など陸奥国内の地名を示す例があり、国府、鎮守府、寺院といった遺跡の性格を色濃く反映する。また、銙帯金具・石帯、多種の硯、刀子などは多賀城に出仕した官人の存在とその文書事務活動を、羽口や取鍋 、漆壺や漆濾布などは官衙にて金工品や漆工品製作が行われたことを裏付ける。さらに、塑像の残片、五重塔や金堂を模した瓦塔や瓦堂、多数の泥塔などの仏教遺物、人面墨書土器、人や動物などの形代、斎串などの律令祭祀に関わる祭祀具は、多賀城跡にて行われた宗教活動やその風景の一端を垣間見せる。
これら多種、多量の遺物は、古代国家における枢要な地方官衙の姿や活動を、生き生きと復元する貴重な考古資料である。