紫陽花郭公図
あじさいほととぎすず
概要
俳人、文人、画家であった蕪村は、享保年間末に江戸に下り、俳諧を学び、江戸俳壇に出る一方、絵画にも親しみ、寛保初年に江戸を後にして放浪生活に入り、各地を旅して10年余を過ごした。宝暦初年に京に上り、画業に心を寄せ、国内のさまざまな流派はもとより、中国諸家の作品や版本類を研究して自己の画風を形成した。初期文人画の足跡を受け継ぎ、日本の文人画を大成したのは池大雅と与謝蕪村であった。中国への憧れをもちつつもその影響を離れ、日本的な文人画を創り出すことに大きく貢献した。 「岩くらの狂女戀せよほととぎす」この句は天明三年刊維駒編『五車反古』に出ている。おそらく蕪村最晩年の句であろう。空に鋭く啼き渡る郭公と、たっぷりとした墨色の葉にすがすがしい藍色の施された紫陽花が大きく描かれている。句のもつ激しい情調を象徴的に表した珠玉の作品である。