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生々流転

概要

生々流転

日本画

横山大観  (1868-1958)

ヨコヤマ、タイカン

大正12年/1923

墨画・絹本・画巻・1巻

55.3×4070.0

巻末に年記、落款、印章

10回再興院展 竹之台陳列館 1923

12
生々流転
Metempsychosis
1923(大正12)年
絹本墨画、画巻 55.3×4070cm
sumi on silk, scroll
第10回院展
重要文化財
雲烟漂う山中で葉末に宿った霧のしたたりが渓流となり、水勢を増して千仞の岩壁にしぶきをあげ、山間の人里をぬけ、丘や山をこえていくうちに支流を集めて川となり、水郷を形成する悠々たる大江となって海へそそぎ、逆まく怒涛のうちに雲を呼ぶ。目に映るのはこうした変転きわまりない水の様相である。しかし、それはかたちを借りて現れた、生々流転の相にすぎず、味到すべきは、大観55歳にして達観された、相をこえた想、つまり、その一語にすべてがつくされるような「生々流転」の真理でなくてはならない。全巻に展開する流転の相、すなわち、かたちによって成り立つ実在は、その奥にあるべきかたちなき本質の仮象にすぎないとみられるからである。露、滴、渓流といったそれぞれの仮象の奥に、すべてを通じて動いてやまぬかたちなき水の真相に想い到る時、そこに水と一如とならんとする大観の精神そのものを発見する。展開する風景は、融通無礙、水の随処から、動いてやまぬ精神によって眺められている感がある。実在の仮象界をこえた空の世界に存する識心が、「生々流転」の真理をきわめつつ自然界の流転相をたのしむ、禅定の深妙なる境地を、水里画と絵巻物の原理にのっとって表現しようとしたと見るべきだろう。
大観はそれまでにも、1910年の〈楚水の巻〉以来いくつかの水墨画巻を描いている。それらはいずれも実景に取材したものであったが、その過程で水墨表現の本質と絵巻物形式の原理を会得した画家は、逆にその伝枕的な方式の究理的実現へと駆られて、実在の奥をきわめた自由な精神に映る流転の相をテーマとして着想したのではなかっただろうか。

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