冷泉家文書
れいぜいけもんじょ
概要
京都の冷泉家に伝来した文書で、現在は財団法人冷泉家時雨亭文庫の所有になる。その内容は鎌倉時代から桃山時代に至る二百七十八通からなっており、数少ない中世の公家文書のひとつとして注目される。
藤原道長の六男長家に始まる御子左家は、俊成、定家によって和歌の家としての地位を確立したが、為家以降、二条家、京極家、冷泉家の三家に分かれた。しかし、二条、京極の両家は早く衰微し、冷泉家が定家の正統をうけ継ぎ、現在に至っている。
この冷泉家の歴史を伝えた文書のうち中心を占める家領文書は所領別に整理されており、為家が播磨国越部下庄を為氏より悔返して為相に与えた文永六年(一二六九)十一月十八日の藤原為家譲状案をはじめ、長家から為秀までを記した越部庄相伝系図(鎌倉後期)には譲与関係の詳細な注記もあって注目される。また、正安三年(一三〇一)七月十日後宇多上皇院宣や、観応二年(一三五一)十月廿七日足利義詮御判御教書など、相論に際しての安堵の文書も多数存しており、冷泉家の洛中所領・屋地に関する文書のうち、室町時代の百万遍地指図などは中世京都の公家屋敷図として貴重である。
和歌関係文書のうち、(建仁二年)七月二日後鳥羽上皇院宣は、定家に充てて古今、後撰、拾遺和歌集より殊なる歌五首ずつを撰出し、午刻までに書進せよと命じたもので、『新古今和歌集』撰集期の動向を示している。この他、室町後期の歌道入門誓紙類など冷泉家の和歌の家としての活動が知られる文書も伝わっている。
このように本文書は、中世の冷泉家の歴史を具体的に明らかにし、中世史及び国文学史研究上に価値が高い。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)