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写真(高岡七本杉天狗像・稲荷神を祀る宮野家祭壇)

しゃしん(たかおかしちほんすぎてんぐぞう・いなりしんをまつるみやのけさいだん)

概要

写真(高岡七本杉天狗像・稲荷神を祀る宮野家祭壇)

しゃしん(たかおかしちほんすぎてんぐぞう・いなりしんをまつるみやのけさいだん)

昭和以降 / 富山県

富山県高岡市

昭和7~18年頃/1932~43年頃

印画紙・台紙貼り・現像

本紙:縦19.8cm×横14.4cm
全体:縦31.3cm×横24.3cm

1葉

富山県高岡市古城1-5

高岡市立博物館蔵

宮野家資料。
天狗像などが納められた祠と、鏡や瓶子、餅や果物などが供えられた祭壇の様子が写っている。
祠の上部には、天狗の羽団扇と稲の紋が入り「昭和七年八月」の文字が書かれた幕が写っている。また向かって左側に、上部に天狗の羽団扇が描かれ、「高岡/妙法講」と書かれた会旗が掲げられている(妙法講は日蓮宗)。
写真の台紙には「Seibido/高岡 倉田」(御旅屋通りにあった倉田精美堂)の文字が入っている。
かつて高岡市末広町にあった料理旅館 宮野梅松園内で撮影された写真。

高岡を代表する料理旅館であった宮野梅松園は、明治後期に初代 宮野一平氏(?~1912)が末広町40番地に創業し、3代目の宮野保一氏(1885~1977)が昭和17~18年頃まで営業していた(寄贈者は4代目にあたる)。なお、宮野氏の先祖は藩の足軽であったと伝わっており、宮野梅松園が営業していた土地は高岡町奉行 伊藤内膳(1594~1669)の屋敷地であり、のち御旅屋の庭園となったという。

寄贈者が先祖から聞いた話によると、明治27年(1894)9月頃、暴風により七本杉の7本の幹のうち5本が折れてしまった。この折れた5本の遺材を宮野家の納屋で保管し続けていたところ、寄贈者の先代で梅松園2代の宮野保一氏(1885~1977)の夢枕に「七本杉の遺材を使って、富山の仏壇または彫刻師に天狗の像を作ってもらえ」とのお告げがあり、天狗像や厨子、祠、台座などを作成して(作者不明)家で祀っていたとのこと。なお、古来より七本杉には神霊や天狗がいるともいわれ、ご神木ともされていたが、枯れて倒潰のおそれが出てきたうえ、交通や商店街拡張の妨げともなってきたので、昭和2年(1927)11月に伐採された。

この祠の祭祀は正式には「妙法講」(保一氏妻みすい氏が日蓮宗のお経を唱えていた)といったが、「高神様(たかがみさま)」と通称され、毎月1日に行われていたという。ちなみに、宮野家の菩提寺は博労町の極楽寺(浄土宗)である。また祠内の稲荷神璽は天狗と直接関係は無いと思われ、保一氏、または妻みすい氏の個人的信仰により勧請されたと思われる。極楽寺境内には「八ノ宮稲荷大明神」が鎮座していることに関わりがあるかもしれないと寄贈者は語っている。

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