常陸国分尼寺跡
ひたちこくぶんにじあと
概要
字尼寺ケ原トスル畑地ノ西方展望ニ富ムノ地ニアリ 國分僧寺阯ト相距ル七、八町八八四二番八八四六番及八八五四番ノ三地域内ニ土壇礎石ヲ存ス 即チ金堂講堂中門ノ阯ニシテ善ク舊規ノ認ムヘキモノアリ 又附近ヨリ奈良朝時代ノ特徴アル古瓦ヲ出ス
尼寺ヶ原と称せられる地域にあり、中門跡・金堂跡・講堂跡が南北中軸線上に並列しており、金堂跡は約3尺の土壇をなし、現在10個の礎石が存し、5間に4間の堂宇のあったことが認められる。講堂跡は約1尺の土壇をなし、24個の礎石が現存し、7間に4間の堂宇と認められる。附近より奈良時代に属する鐙瓦・宇瓦等が発見されている。旧規模よく存し、国分尼寺跡として稀有の例であり、学術上特に価値が深い。
S46-5-124常陸国分尼寺跡.txt: 常陸国分尼寺跡の既指定地(昭和28年3月特別史跡指定)は、わずか中門跡・金堂跡・講堂跡を中心とした地域であった。ところが昭和44〜45年の発掘調査の結果、南大門跡(掘立柱建物)をはじめ西・南・北に幅約3メートルの寺域を画す堀がめぐっていることが明らかとなった。これにより寺域は、方1町半と考えられるので、指定地が寺域全体に及ぶようにするものである。