田名向原遺跡
たなむかいはらいせき
概要
山中湖を水源として相模湾に流れる相模川と城山湖付近を水源とする境川に挟まれた相模野台地には,後期旧石器時代め遺跡が多数分布する。この南部に相模原市があり,市の西端に田名向原遺跡が位置する。この地域に組合施工による約53ヘクタールの区画整理事業が計画され,本遺跡ほかの事前発据調査が田名塩田遺跡群発掘調査団によっで実施された。
本遺跡は,相模川左岸の比高11mの低位段丘上に立地するが,遺跡の川寄りでは水成層が堆積し始め、相模川の下刻を考慮すれば後期旧石器時代には相模川べりに位置していた。地表から探さ2・5mの約1万5千年前の地層から,各2ケ所の石器集中地点と礫群,一棟の建物跡が発見された。建物跡と考えられる地点からは,径約10mの範囲に主に黒曜石製の180点ほどの石槍、少量のスクレイパーとナイフ形石器、製作の際に生じた多量の石核や剥片など,合計3,000点近くの石器が出土した。周囲には多孔質安山岩の拳大の礫,敲石・磨石・台石など約130点と,凝灰岩の石核・大型剥片と原石など合計紛220点が環状に巡っていた。内部の10ケ所には柱穴と考えられる径30~60cmの褐色部がほぼ等間隔で円形に並び,その内側にも2ケ所発見された。またほぼ中央部には径90と65cmの2ケ所の焚き火跡が確認された。なお多量に出土した黒曜石製石器と本遺跡から150m離れた同時期の地点から発見された9点の黒曜石原石は,信州産が主体であり同地域との強い結びつきがうかがえる。
旧石器時代の人々は遊動生活を送り,落し穴・礫群・石器集中地点を除けば,ほとんど土地に生活痕跡を残さない。このような状況の中,旧石器時代末に当たる本遺跡の遺構は、炉跡、柱穴と思われる穴,外周の円礫群などを持つ日本最古の確実な建物跡である。相模川べりにあるという特色を持ち、その大きさや2基の地床炉をもつなどの特殊性から見て,川を遡上するサケの捕獲を目的に逗留し,解体・加工した作業場的建物と推定することもできる。晩氷期の温暖化とともに遺跡は川筋の低地に進出し,集団による内水面漁労が定住への契機になったと考えられている。また信州系を主体として箱根系の黒曜石も搬入されており,当時の集団の移動の実態と川べりでの生業・生活の様相を知るなど,l日石器時代から縄文時代の過渡期における歴史的発展の経緯を伺わせる貴重な遺跡である。よって史跡に指定し保護しようとするものである。