絹本著色潮干狩図〈葛飾北斎筆/〉
けんぽんちゃくしょくしおひがりず
概要
葛飾北斎【かつしかほくさい】(一七六〇-一八四九)は浮世絵を代表する絵師のひとりであり、九〇年に及ぶ生涯に浮世絵のあらゆる分野にわたって大量の作品を制作した。しかし、従来北斎の指定作品はなく、本図を含めて四点の肉筆画が重要美術品に認定されているのみである。
北斎の多彩な画業のなかでも肉筆画は代表作が数多く生み出された分野であるが、本図に捺される「亀毛蛇足【きもうだそく】」印を有する作品には、優れたものが多い。同印の使用時期の上限としては、享和三年(一八〇三)にはすでに狂歌絵本『夷歌 月微妙』に使用例があることから、少なくともこの年以前にさかのぼるとされている。また下限は、同印を門人北明に譲るという墨書のある「鯉魚図」(埼玉県立博物館)が文化十年(一八一三)の作であることから、このころまでは確実に用いていたと推測できる。同印を有する作品は少なくとも五〇余点が知られており、印の周囲の長方郭がしたいに欠損していくことが指摘されている。
本図に登場する女性は、文化年間後期以降の北斎美人画にしだいに顕著となる退廃的な雰囲気、ちりちりとした独特の線質、やや歪んだ体躯の造形といった特徴がまだ明らかではなく、健康な上品さを保っている。三人のうちには眉をそり落とした年輩の女、桜の模様の小袖を着た年長の娘、黒地の振り袖を着た若い娘と、衣装風俗に巧みに年齢差が表現されており、富裕な町方の母親と子どもたちが三月三日の潮干狩に興じる様子を表したものかとみえる。女たちを含めた右側の人物群が一様に砂の上の貝に注意を向け、左側の少年たちは砂を掘る手元に関心を集中することにより画面に緊張感がもたらされている。
北斎は摺物や版画で同様の主題を何度か制作しており、本図よりさかのぼる「宗理画」(東京国立博物館)あるいは「先ノ宗理北斎画」落款(シカゴ美術館)のある摺物等には同種の図様が見いだされる。北斎は本図より下る時期の「富嶽三十六景」中の図では登戸を舞台として潮干狩を描いている。その景観表現は富士山を望む遠浅の海である点で本図に近いところがあるが、近景に稲毛浅間宮の大鳥居が描かれており、同一の地点ではない。肉筆画が版画とは異なり、個人による注文制作であった可能性を考えると、本図の富士山を望む景観もあるいは特定の土地を意味しているかもしれないが、その点はまだ解明されていない。
本図のもうひとつの特徴は、当時司馬江漢【しばこうかん】(一七四七-一八一八)等によって喧伝された新しい洋風画の技法を学んだ広大な風景表現である。濃い青色の空、山々からわき上がるような白いちぎれ雲、青色と灰色で表される遠山といった遠景の描写にはとくに洋風画の技法の影響が強くみられる。
北斎はあらゆる日本人画家のうちで世界的に最も知られており、外国での研究も盛んに行われているが、本図は、北斎の美人画、風俗表現および風景表現の特質が融合した希有な作例として、数ある北斎の肉筆画中でもことに高い評価を得ている作品である。