実隆公記
さねたかこうき
概要
室町時代の公卿、三条西実隆(一四五五~一五三七)の自筆日記である。記主の実隆は、蔵人、参議、権大納言を経て、永正三年(一五〇六)に内大臣となった。古今伝授の正統を受継ぎ、和漢の学問から有職に通じて、後土御門・後柏原天皇の信任を得、文芸の復興にも大きく貢献した。
この『実隆公記』は、もとは三条西家に伝来したもので、所収記事は、実隆二〇歳の文明六年(一四七四)正月から、八二歳の天文五年(一五三六)二月までの六三年間にわたる。このうち別記二巻を除くほかは、全て日次記で、いずれも文書を翻した料紙に書かれている。
体裁は、本来が袋綴冊子で、共紙表紙に「愚記(花押)」などの自筆外題があり、本文は、半葉一一ないし一二行に倉卒な筆致で記されている。現状は破損の修理に際して大半が改装され、未表具巻子など百六巻、一帖、四十四冊、一紙を存する。
その内容は、実隆の経歴を反映して、朝儀や有職の詳細な記録、幕府関係から戦乱で荒廃した当時の社会情勢に至るまでの記事が収められている。古典の書写・校合や講釈、古今伝授に関係する記事も多く、『新撰菟玖波集』の成立にいたる詳しい状況なども知られる。また、宗祇ら連歌師の活動、地方武士や富商との交流、三条西家の家計の実状などを伝える記事の他、永正三年(一五〇六)十二月廿二日条にみえる洛中洛外図屏風に関する初出史料など著名なものが少なくない。日記中には女性や束帯の人物などを描いた戯画も含まれており、さらに各巻の紙背にまとまっている多数の書状類は、実隆の勤勉な日常生活の一端を伝えている。
このように、実隆公記は、室町後期の政治・社会・文化を研究する上の基本史料で、質量ともに優れた公家日記として貴重である。