弘福寺牒並大和国判
ぐふくじちょうならびにやまとのこくはん
概要
弘福寺牒並大和国判
ぐふくじちょうならびにやまとのこくはん
平安時代 11世紀/延久4 1072
紙本 墨書 巻子
縦28.3 長308.0
1巻
重要文化財
延久4年(1072)に、弘福寺が先例に従って大和国内における寺家所領の田畠に対する不輸の免判を国司に求めた牒(公文書)。
本文は95行から成り、高市郡の寺辺地をはじめとする寺領九十二町二段三百二十一歩を書き上げ、末には検行阿闍梨以下3人の署名がある。
巻尾には、弘福寺の申請通りに寺田であることを認めた大和国守の国判が15行にわたって加えられ、「大和国印」が紙の継目と国判の文字の部分に計20顆捺されている。
弘福寺は川原寺とも称し、飛鳥・白鳳期には大寺のひとつであった。9世紀には東寺の末寺になるが、この文書は11世紀における弘福寺の所領に関する根本史料であり、延久の庄園整理令当時の弘福寺領の規模と国司免判のあり方を伝えて価値が高い。
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.306, no.131.