吉崎御坊跡
よしざきごぼうあと
概要
本願寺第8代法主蓮如は文明3年(1471)5月北国に下向、同7月に吉崎御坊を開き、以後文明7年に吉崎を退去するまで、この地を拠点として盛んに布教活動を行い、本願寺教団が北陸に一大領国を形成する礎をつくった。
吉崎御坊は、越前(福井県)の北端、北潟に突出した海抜約33メートルの「御山」に置かれ、開創当時は「御山」の奥に坊舎を構え、周囲に土塁をめぐらしたものと想定される。現在は坊舎のあったと考えられる地に数個の礎石が残っているほか、山上北東部に土塁の痕跡をとどめている。
吉崎の地は、一向宗勢力の増大に伴い、寺内町一帯が要害化したが、後の山科本願寺、石山本願寺の造営の祖型も、この吉崎寺内町に見られるところであり、その歴史的意義は大きい。