教如像
きょうにょぞう
概要
浄土真宗大谷派本願寺第12世教如(1558~1614)は、本願寺第11世顕如(1543~92)の長子として生まれた。天正8年(1580)、石山本願寺と織田信長が戦った石山合戦の和議が成立した際に、顕如が紀州・鷺森(現・和歌山市)に退去したのに対して、教如は石山に籠城して抗戦を続けた。5か月のちに教如も紀州に退くが、この行動の違いが後の本願寺分裂の遠因となった。教如の画像としては、大阪・延徳寺本などが知られるが、本図もそれに続く時期のものと思われる。
きょうにょぞう
浄土真宗大谷派本願寺第12世教如(1558~1614)は、本願寺第11世顕如(1543~92)の長子として生まれた。天正8年(1580)、石山本願寺と織田信長が戦った石山合戦の和議が成立した際に、顕如が紀州・鷺森(現・和歌山市)に退去したのに対して、教如は石山に籠城して抗戦を続けた。5か月のちに教如も紀州に退くが、この行動の違いが後の本願寺分裂の遠因となった。教如の画像としては、大阪・延徳寺本などが知られるが、本図もそれに続く時期のものと思われる。
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