「松本米三郎のしのぶ」
まつもとよねさぶろうのしのぶ
概要
遊女に身を転じて父の仇討をねらう娘信夫を描いている。微妙でしなやかな線、効果的な黒で引き締められた抑制された格調高い色、歌舞伎の誇張された演技に通ずるデフォルメなどは、人間のなまなましい情念を実在感をもって浮き彫りにしている。東洲斎写楽については、役者絵、相撲絵など140余種の作品とそれから推定される寛政6年(1794年)5月から翌7年1月までの作画期間しかわからない。近年『諸家人名江戸方角分』に「写楽斎」と号する浮世絵師が八丁堀地蔵橋辺に住んでいたという記載があることが発見され、一時否定的であった「俗称斎籐十郎兵衞 居江戸八丁堀 阿波侯の能役者也」という『増補浮世絵類考』の記事が再び注目されている。