馬場小室山遺跡第51号土壙出土縄文土器
ばんばおむろやまいせきだいごじゅういちごうどこうしゅつどじょうもんどき
作品概要
馬場小室山遺跡は、さいたま市緑区大字三室、馬場1丁目、松木2丁目などの広い範囲に広がる遺跡で、東西約300m、南北約200mに及ぶ。地形的には見沼の低地から袋状に南に入り込む溺れ谷に面する台地の北縁にあたり、標高は約16mを測る。昭和40年代に2度にわたって行なわれた発掘調査によって、縄文時代中・後・晩期の遺構や遺物が密集して出土する遺跡として認識されて以来、その後の調査によって、中央の窪地を囲む環状の土の高まりを伴う大集落が形成されていたことが明らかになっている。
昭和57・62年に発掘調査された第51号土壙は直径約5m、深さ約4mの大土壙で、壁の傾斜は急で、底面がほぼ平坦になる円筒状の形態を呈している。この土壙からは、「人面画土器」(県指定有形文化財)が出土しており、この30点の土器は「人面画土器」とともに同土壙の下部から底面付近にかけて折り重なるように一括して出土したものである。また、この30点の土器以外にも、同土壙からは極めて多量の土器破片が獣骨とともに出土している。出土した土器は前述の「人面画土器」もそうであるが、日常的に用いられたと見られる無文ないしは簡略化された文様を持つ粗製土器が主体で、文様・成形ともに精緻な、所謂精製土器は比較的少ない。土器の器形は、深鉢形土器のほかに注口土器、鉢形土器、壺形土器、器台形土器などがある。
これらの土器は、文様などから縄文時代晩期に位置づけられるものと考えられるが、晩期前半から中盤にかけての文様要素を持つ土器が共存していることが特徴的である。