岩槻城并侍屋敷城下町迄総絵図 いわつきじょうならびにさむらいやしきじょうかまちまでそうえず

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絵図・地図 / 江戸 / 関東 

埼玉県
江戸時代/18世紀中葉
紙本着色。画面を内側として、縦7折、横11折し、表面となる2面の内1面に外題(標題)を墨書する。
縦295.5cm、横266.5cm
1鋪
埼玉県さいたま市大宮区高鼻町2-1-2
さいたま市指定
指定年月日:20130327
さいたま市
有形文化財(美術工芸品)

 本絵図には、当初のものとみられる外題が紙背にあり、そこには本絵図の標題が「岩槻城并侍屋敷城下町迄総絵図」と記されている。大判の絵図で、料紙には厚手で良質な紙が用いられている。
 本絵図では、大構(おおがまえ:総構の土塁と堀)までの範囲全体と共に、大構外の街道筋に形成された町場等までを描いている。                              
 本絵図紙背の外題には、「一分一間之積」とあり、城郭部分については、600分の1の縮尺による、いわゆる分間図として調製されたと考えられる。なお、本図における描画範囲と実測値との比較可能な部分として、狭義の城郭内に当たる三の丸部分で対比すると、概ね600分の1である。
 本絵図の成立年代は、江戸時代中期から後期にさしかかる、18世紀半ば前後の時期に成立したと考えられる。本絵図の作成者や作成目的については、本絵図に盛り込まれた情報が岩槻藩政において作成されたものであることを窺わせている。さらに、絵図としての図幅や使用された料紙の質、簡素ながらも丁寧な描画・彩色などは、本絵図が単なる写しではなく、公的な目的をもって作成されたことを物語っている。
 本絵図は、近世中期から後期における岩槻城の全体像を示す絵図であり、概ね18世紀半ば頃の岩槻城と城下町に関する様々な情報が記録されている。この点で、岩槻城・城下町のあり方を把握する上で、重要な史料の一つということができる。また、藩政において作成されたと考えられることから、岩槻藩における城郭図の作成に関する基本史料となるものでもある。さらに、その描画法や分間図としての…

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