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大廻小廻山城跡

おおめぐりこめぐりさんじょうあと

概要

大廻小廻山城跡

おおめぐりこめぐりさんじょうあと

城跡 / 中国・四国 / 岡山県

岡山県

岡山市

指定年月日:20050302
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

大廻小廻山城跡は、岡山市の北東部瀬戸町と境を接する標高198.8mの独立小山塊の大廻山小廻山に所在する古代山城跡であり、備前国分寺・国分尼寺跡の南東部約2kmに位置する。
城跡は、土塁築成の城壁が山頂部から谷部を取り囲み山塊を一周しており、3箇所の谷部には石塁が築造されている。
城跡東山腹には、平安時代後期開基とされる築地山の山号を持つ常楽寺が所在しており、城跡内から多数の室町時代の線刻石仏が出土していることなどから城跡は中世には常楽寺の宗教施設として使用されていたものと考えられている。しかし、明治期に一帯は国有林となり、戦後は開拓地として開墾されてきた。
地元の荒木誠一は『赤磐郡誌』(1940年刊)で「小廻城址」を取り上げ天智朝の朝鮮式山城の可能性を主張している。また、戦後では古絵図や郡誌の記事から城跡の存在を主張した研究者もいたが、本格的な遺構の分布調査は、昭和48年末から開始された。その結果、3箇所の石塁を伴って囲繞する約3.2kmにわたる土塁線の全周が確認された。当時、県内で鬼城山の遺跡が確認されていたことと相まって古代山城跡として学界の注目するところとなった。
その後、昭和58年には開拓地を買収して産業廃棄物処理場として使用しようとする開発計画が持ち上がり、翌59年から63年度にかけて岡山市教育委員会による発掘調査が実施された。その結果、北部九州に見られる神籠石様の列石を版築盛土の基礎とした土塁線の構造や折れを伴った列石線、谷部分の一の木戸の通水施設を持つ石塁の構造、二の木戸の石塁構造などが確認された。列石の石材は、現地で採ることのできる砂質ホルンフェルスを中心とした自然面を残す割石であり、長さが20から100cm(平均約45cm)、厚さ15から50cm(平均約30cm)の規模のものを使い、石の外側の上面を揃えた形状に置かれている。この列石は版築盛土で覆い隠されており、版築を含む盛土の幅は、5から10mで、高さは2m前後で外側の傾斜角最大約80度を測る。また、土塁線の比高差は約110mで、89箇所の折部を伴うことも確認された。一の木戸は、現状で高さ2.4mを測り、石塁主軸に対して72度で斜交する通水施設を持っている。通水施設は、吸水口で高さ0.4m、幅1.0mを、排水口で高さ0.7m、幅0.7mの規模を測る。その他、城門遺構や城内建築物等の遺構は検出されていない。なお、出土遺物としては、白鳳期から奈良時代初期に比定される須恵器片があるが、遺構との共伴関係にはなく、遺跡の年代特定に至るものではない。類似の古代山城跡の構造から、城跡の築造時期はほぼ7世紀に築造されたと推定できる。
このように発掘調査により、列石を伴った土塁線・水門を伴った石塁など古代山城跡としての遺構が確認された大廻小廻山城跡は、他の古代山城跡と同様に、我が国古代、特に7世紀の東アジアを中心とした対外関係の歴史を考える上で重要であり、史跡として指定し保護しようとするものである。

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キーワード

/ 列石 / 遺構 / 城跡

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