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永納山城跡

えいのうさんじょうあと

概要

永納山城跡

えいのうさんじょうあと

城跡 / 飛鳥 / 中国・四国 / 愛媛県

愛媛県

7世紀後半

西条市河原津、今治市松山

指定年月日:20050714
管理団体名:

史跡名勝天然記念物

永納山城跡は、愛媛県中部、高縄半島の東付け根に所在する古代山城跡である。北方には芸予諸島が瀬戸内海を横断するように続くのが一望でき、周辺の来島海峡は古くから瀬戸内海の交通・軍事等の要衝となっている。瀬戸内海は大陸から畿内地方に通じる海上交通の大動脈であり、沿岸には石城山神籠石、鬼城山、大廻小廻山城、城山、屋島等の古代山城跡が防衛の拠点として所在する。
永納山城跡は、南北約1.0km、東西約0.8km、標高約130mの永納山と、その北西部に位置する南北約0.2km、東西約0.3km、標高約130mの医王山の二つの独立した山塊上に立地する。昭和52年の分布調査により発見され、平成14年度からの東予市教育委員会による確認のための発掘調査の結果、山塊上に花崗岩製の切石列と土塁を確認した。
永納山の南西部から南部、東部にかけては、尾根筋から尾根斜面にかけて岩盤の露出が顕著であり、垂直に切り立った露岩により絶壁となる場所も見られる。北東部や北部は山頂から尾根が比較的緩やかな傾斜で延び、北の谷へ向かい下っていく。西部は多少の起伏はあるものの比較的緩やかに尾根が延び、岩盤はさほど顕著には見られないが、医王山方向へは急傾斜で尾根が下る。医王山は山肌各所に岩盤が露出し、場所によっては垂直に切り立っている。
永納山城跡の外郭線は、山の尾根からやや下がった外側斜面に直線的なものが屈曲しながら続き、尾根の傾斜に沿うように東西約470m、南北約720mの範囲で巡らしており、全長は約2.5kmを測る。外郭線は絶壁状に切り立つ岩盤を巧みに利用したもので、岩盤間には花崗岩の自然石もしくは粗割石を用いた小ぶりの列石を一段置いた上に土塁を構築することを基本とする。北東部の比較的な緩やかな尾根斜面では、特に列石と土塁の残存が良好である。一方、東部では岩盤と岩盤の間の鞍部に、幅約5mの範囲で最大4段の石積みが残る箇所もある。城門や水門等の遺構は現状では確認していないが、永納山の北に入り込む谷筋に水門があった可能性が指摘されており、北東部の尾根斜面では城門の可能性のある石積みを確認している。また、土塁外側に柱穴を検出した箇所もあり、これは土塁を築成するためのものと考えられる。築造年代を直接示す遺物は出土していないが、土塁崩壊土中から8世紀前半の土器が出土している。
永納山城跡は、その構造と他の類例から7世紀後半頃に築造された古代山城と考えられる。この頃は唐や半島諸国との対外関係が緊張した時代であり、古代山城跡が対馬から近畿地方まで約30箇所で知られている。永納山城跡は瀬戸内海防衛の一翼を担い、畿内地方への侵攻を食い止める目的で築造された可能性が高く、7世紀の対外関係を示す遺跡として極めて重要である。

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キーワード

城跡 / 尾根 / /

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