甲賀郡中惣遺跡群
こうが(か)ぐんちゅうそういせきぐん
概要
甲賀郡中惣遺跡群は、戦国時代に甲賀の土豪・地侍という小領主による水平的連合によって甲賀郡一帯に形成された自治組織に関する遺跡群であり、滋賀県湖南地域の旧甲賀郡域に属する甲賀市から湖南市にかけての丘陵部に所在する。甲賀郡一帯に郡中惣が形成されたのは、織田信長の近江侵攻という軍事的緊張を背景に、概ね永禄年間頃と考えられている。甲賀武士は近江守護六角氏の軍事的主力として活躍したが、元亀元年(1570)野洲川の戦いで敗北、信長の配下に入った。その後、羽柴秀吉の兵農分離により改易され、郡中惣は終焉を迎えた。甲賀では、郡中惣を構成した土豪・地侍によって、一辺50m四方の粘土層を利用した高く厚い土塁で囲んだ単郭方形型を基本とする城館が狭隘な谷々に数多く築かれ、さらに典型的な単郭方形型を進歩させた形態の城館も築かれた。今回、甲賀市甲南町域の新治地区に所在する寺前城跡・村雨城跡・新宮城跡・新宮支城跡・竹中城跡を指定して保護を図る。