日吉山王金銅装神輿
ひよしさんのうこんどうそうしんよ
概要
『日吉年譜』によると、大宮、宇佐宮、二宮の神輿は天正十七年に新庄駿河守直頼が願主となり、樹下社は慶長十六年に浅井氏息女の寄進によって、調進されたという。他の神輿もこの頃から江戸時代にわたって造られたと考えられる。
日吉大社は西の宮に大宮・宇佐・白山比咩の三社、東の宮に二宮(男神)・樹下(女神)、裏の八王子山上に牛男(男神)・三宮(女神)の二社の径七つの社があり、それぞれ神輿を備える。再興後は祭礼に用いられたが、東の宮の神輿は宵宮落に用いられるため、かなり修理が加えられている。
当社の神輿は壮大で、豪壮華麗なものである。構造は、六基が方輿、牛尾宮が八角形である。方輿は、四隅に太くてたくましい隅木を出し直接屋根がかかるが、八角形は隅木が出ているほかに、その上に二重垂木がつく。身部の腰周りに雄壮な動物の金具を据えた腰飾り板で囲んでいるのが珍しく、一段と重厚感を添える。
永年にわたる使用による損傷や欠失は、その都度補修されている。特に金具類は天和の躰阿弥久豊と安政の森田五兵衛と躰阿弥久祥の名は色々のものに刻まれているが、これらはいずれも内裏御錺所法師の金工であった。
江戸時代の工芸品として鷹揚な中にも細部にわたって神経が行き届き、特色豊かな神輿である。
所蔵館のウェブサイトで見る
国指定文化財等データベース(文化庁)