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小早川家文書(三百六通)

こばやかわけもんじょ

概要

小早川家文書(三百六通)

こばやかわけもんじょ

その他 / 室町 / 安土・桃山 / 九州

福岡県

室町~桃山

31巻

太宰府市石坂4-7-2

重文指定年月日:19860606
国宝指定年月日:
登録年月日:

国宝・重要文化財(美術品)

中世から近世初頭にかけて安芸国で強大な勢力を誇った小早川家に伝来した文書三十一巻で、既に重要文化財に指定されている毛利家文書、吉川家文書と並び称されるものである。小早川家は鎌倉時代安芸国沼田荘地頭から発展し、毛利元就の三男隆景が家を嗣いでより、兄吉川元春と共に元就、輝元を援けて桃山時代の有力大名となった。
 本文書は、戦時中の空襲で文書の一部が焼失したが、その火中からかろうじて持ち出された現存の文書は全部で三百六通に及んでいる。年紀の判明するものの中では、天文二十四年(一五五五)九月二十七日毛利元就自筆書状を上限とし、以後、天正・文禄期のものが大部分を占める。当時の政治情勢、戦いの状況を明らかにする文書が多く、足利義輝、義昭の御内書、織田信長書状、そして百六十通を超える豊臣秀吉の書状・朱印状が中心となっている。たとえば、義昭が毛利氏に対して本願寺への救援を促した(天正八年、一五八〇)四月七日足利義昭御内書や、信長が元就との関係について隆景の斡施を求めた(永禄十二年、一五六九)二月十三日織田信長書状、さらに、隆景を朝鮮在陣の軍の重鎮としたことを示す(文禄二年、一五九三)二月十八日豊臣秀吉朱印状など朝鮮出兵の経過が知られる文書も存している。このほか元就が隆景に与えた訓戒の草案である(年未詳)十月二十三日毛利元就自筆書状、庶子家をも家臣団に編成した様子が窺える永禄、天正年間の小早川家座配書立等があって注目される。
 このように、本文書は小早川家が最も発展した隆景の時代の文書を中心としたもので、信長、秀吉による全国統一から朝鮮出兵に及ぶ政治情勢を伝えて、戦国時代史研究上に価値が高い。

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