皆川家文書(六十一通) みながわけもんじょ

その他の美術 / 鎌倉  南北朝  室町  安土・桃山  江戸 / 関東 

鎌倉~江戸
7巻、9通
重文指定年月日:20001204
国宝指定年月日:
登録年月日:
国宝・重要文化財(美術品)

下野国の皆川家に伝来した古文書群である。皆川家は、小山政光の次男で有力御家人の長沼宗政(一一六二-一二四〇)の孫にあたる宗員が、下野国皆川庄(現栃木市)に居を構え、皆川四郎左衛門尉を称したのに始まる。宗員の系統は、元亨三年(一三二三)六代宗常のとき、執権北条高時に背き、所領を没収されて断絶する。一方、宗員の弟宗泰の系統は、長沼惣領家を継承し、南北朝時代に陸奥国に移住した後、室町時代中期に皆川庄に本拠を置いて皆川姓を名乗った。天正元年(一五七三)に家督を継いだ広照は、宇都宮氏、後北条氏の麾下に属し、小田原征伐を契機に徳川家康に仕えて譜代大名となり、のち改易されるが、子孫は旗本として続いた。
 本文書は、『皆川家文書』の主要部分をなすもので、戦前に皆川家より巷間に流出し、昭和十二年五月に重要美術品に認定された後、所在不明となっていたが、近年その存在が明らかになり、平成十年三月に文化庁が購入するにいたったものである。
 本文書中、頼朝の乳母である小山朝光(宗政弟)母堂を「下野國寒河郡并阿志土郷」の地頭職に補任した文治三年(一一八七)十二月一日附源頼朝袖判下文が最古の文書である。『吾妻鏡』同日条には、「今日、小山七郎朝光母〈下野大掾政/光入道後家〉、給下野國寒河郡并網戸郷、是雖爲女姓依有大功也、」とみえている。宗政を美濃国大榑庄地頭職に補任した正治二年(一二〇〇)十一月九日附源頼家袖判下文は、遺例の少ない頼家発給文書として貴重である。また承久の乱後に宗政を摂津国、淡路国の守護職に補任した承久三年(一二二一)六月廿五日附、同七月廿日附の関東下知状や、…

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