上杉家文書
うえすぎけもんじょ
概要
旧米沢藩主上杉家に伝来した古文書で、南北朝・室町時代の文書を中心に、江戸時代にいたる二千余通を存している。上杉家はもと越後国守護代長尾氏であり、守護上杉氏を倒して実権を握った後、輝虎(謙信)のとき、関東管領山内上杉憲政より関東管領職と上杉の名跡を譲られ、上杉氏を称した家柄である。
この上杉家文書は、大別すると山内上杉家文書、越後国守護上杉家文書、府内長尾家文書、古志長尾家文書および謙信、景勝、定勝以降の上杉氏文書に分けられる。内容的には(一)元徳四年(一三三二)二月二十九日附足利高氏安堵状をはじめ、南北朝時代の尊氏、直義の自筆書状、御教書、御内書を含む文書、(二)室町時代の山内上杉氏の所領・相続関係の文書、(三)長尾為景時代の越後国衆の動向を伝えた文書、(四)謙信時代の対外発展と、室町将軍および武田、北条などの近隣諸大名との交渉に関する文書、(五)景勝時代の豊臣政権との連携を語る文書などが注目される。また、長尾氏の越後国における領国制の展開を示す検地・知行目録類、軍役・軍法類等がまとまっている他、書札礼や印判の使用に関する文書も含まれる。江戸時代の文書は藩政改革に尽力した上杉治憲(鷹山)など歴代藩主の自筆書状を中心とする。
このように上杉家文書は中世越後を中心に、関東、北陸におよぶ地域の政治過程や社会構造を明らかにする武家文書の白眉として特に重視されているが、本文書の最大の特徴は、各文書が巻子や冊子に仕立てられることなく、実際に機能した当時の原形の状態で保存されていることである。
上杉家では、謙信以来の景勝・定勝三代の文書を近世大名上杉家の根本文書として三つの黒漆塗りの懸硯箱に分納し、次に謙信以前の守護代長尾氏の文書と、上杉重能以来の関東管領山内上杉氏の文書を赤箪笥に収納する方法をとっている。現状は、江戸時代寛文十一年(一六七一)、延宝八年(一六八〇)、明和九年(一七七二)などの整理を経て、発信者別、あるいは内容別に紙袋に収めて分類されている。ほとんどの文書は、各通とも本紙、礼紙、懸紙の畳み方、巻き方、あるいは切封などの封式が受け取られた当初のままに伝えられており、文書の機能、様式や形態等を研究する上で極めて有用である。
国宝への格上げにあたっては、中世から近世にいたる本文書の伝来の経緯とその内容に鑑み、重要文化財の指定時に附とされた黒塗掛硯箱入文書以下、歴代知行判物並領地目録、歴代官物文書類、上杉家系図および、未指定の黒塗掛硯箱入文書について、これらを一括して本指定の員数に加えることとした。また、附の越後国頸城郡絵図など三鋪は、近年の指定分類に基づき、員数より分割し、歴史資料の部門において別途、重要文化財に指定することになった。
なお、附の歴代年譜は上杉家編纂の正史として文書を補完するとともに、両掛入文書箱等並赤箪笥は文書保存のあり方を伝えた資料であり、併せてその保存を図ることとした。