日親上人曼荼羅
にっしんじょうにんまんだら
概要
原品は睦沢町川島地区の旧家で伝来されてきた。授与者の「大沢新左衛門」は未詳。日親上人は、応永14(1407)年に上総国埴谷(山武郡)に生まれた。中山法華経寺の日英門下に入り、後に『立正治国論』を著して将軍足利義教に直訴して諫めたが投獄され、拷問で焼き鍋をかぶせられたが主張を譲らず「鍋かぶり日親」と称された。後に赦免され京都の本法寺を再建し、法華経の布教に努めて長享2(1488)年に死去した。この資料の応仁元(1467)年は投獄から赦されて布教を進め始めたころで、当時の時代と日蓮宗の布教の様子をうかがうことができる。この資料は当地域の歴史を知るための資料として学術的価値が高く、睦沢町指定文化財として指定するに値するとされた。