刀筆春日野軸盆
とうひつかすがのじくぼん
概要
作者は現在の広島県江田島市大柿町に生まれ、東京美術学校第1回生として小川松民、白山松哉らに漆工を学んだ。卒業後に同校助教授となるが、岡倉天心と共に辞して日本美術院の設立に参画した。また、天心と共に1904(明治37)年に農商務省海外実業練習生として渡米、1908(明治41)に渡欧し、西洋の塗料を研究すると共に海外事情を見聞した。白漆や色漆の研究開発、アルミニウム酸化皮膜による漆工への活用、中尊寺金色堂をはじめ、各地の文化財調査や修復、国宝指定にも携わり、『東洋漆工史』の刊行、松田権六など昭和漆芸界の指導者たちの育成など、その活動は精力的で幅広い。数ある逸話のなかでも明治時代に素木で建てられた厳島神社の社殿を元来の朱で塗りかえたことは有名。
この作品は奈良春日野の風景を表した軸盆。一本の大木の周りを小鳥が飛び交い、木陰には鹿が休んでいる。大正末期、作者は平壌近郊の楽浪遺跡から発掘された中国漢代の漆器調査に携わり、感銘を受け、その表現技法の復元・応用に没頭した。本作はその研究成果として制作されたもの。盆の周囲に施された雲気文などに、楽浪漆器の流麗な描線に学んだ成果が見て取れる。
【作家略歴】
1867(慶應3)
広島県能美島大柿町(現江田島市)生まれ。本名は注多良。
1883(明治16)
広島師範学校初範科卒業
1889(明治22)
東京美術学校(現東京藝術大学)第1回生として入学
1893(明治26)
東京美術学校卒業、その年より同校助教授
1898(明治31)
同校教授辞職、日本美術院に参画
1904(明治37)
農商務省海外実業練習生として渡米、ボストン博物館東洋部などに勤務
1908(明治41)
渡欧、ロンドン、パリ、ドイツ各地を巡ってロシア、清国歴訪
1914(大正3)
御料車の塗装を委嘱される
1925(大正14)
朝鮮半島の楽浪郡史址調査に参加
1927(昭和2)
帝展に工芸部新設、紫水の出品作品に対し、漆芸正風会から撤去決議書が出され、紛糾、2年後に和解。以後審査員或は無鑑査として作品発表
1930(昭和5)
国会議事堂御便殿装飾
1936(昭和11)
シドニー国際美術展覧会出品
1941(昭和16)
帝国芸術院会員
1950(昭和25)
東京都で没。享年84歳