ミルク・メイド
みるく・めいど
概要
小林千古《ミルク・メイド》
小林千古(1870-1911)は、広島県廿日市市出身。18歳で渡米後、画家への志望を募らせ、カリフォルニア・デザイン学校に入学。苦学しつつも才能を開花させ、同校主催のコンクールでは最優等を獲得しています。
卒業の翌年に描いたこの作品では、堅実な描写で乳絞りの女性を表現。強い陽射しを浴びて、荷物を手に独り歩む姿には、画家として生きる作者の地道な歩みが重なるようです。海外へ出稼ぎに出ていた近郷出身者の成功を耳にした千古は、一旗揚げるつもりでアメリカに渡ったという。アメリカでは、画学生と知り合ったことをきっかけに美術学校に入学。苦学しつつも、学校主催のコンクールで最高賞を受賞するなど優秀な成績をおさめたが、一時帰国の後、さらなる絵画修業のためヨーロッパを目指して出発。パリでは、黒田清輝をはじめ多くの画家と交友し、また美術館で古典絵画の研究なども行った。帰国後の千古は、日本の風物を写実的に描いた作品をはじめ、宗教を題材とした説話的、寓意的な表現にも取り組んだ。
本作は1897年、アメリカで学んでいた頃の作品。題材となっているミルク・メイドは乳製品製造のために雇われる乳搾り専門の女性だという。ここで描かれた女性は細部が省略され、誰とも知れない存在として描かれているが、そのことが働く人の生命力を強調している。日差しの強い荒れ地を黙々と歩く。千古はこのイメージの中に、決して楽ではない自らの人生を重ねて見たのかもしれない。力強い画面からは、たとえ荒野であっても自分の選んだ道を歩き続けるんだという千古の声が聞こえてきそうだ。
【作家略歴】
1870(明治3)
地御前村(広島県廿日市市地御前)で生れた。本名は花吉
1888(明治21)
アメリカに渡って働きながら語学を身に着け、その後カリフォルニア・デザイン学校(1893年からカリフォルニア州立大学付属マーク・ホプキンス美術学校と改称)で学ぶ
1898(明治31)
一時帰国するが、ヨーロッパでの美術研究のために出国。ハワイで肖像画などを描いて渡航費用を蓄える
1900(明治33)
ニューヨークを経由してパリに遊学。黒田清輝、岡田三郎助、中村不折等と親交する
1903(明治36)
帰国。広島市的場町(現在の広島市南区的場)に画室を構え後進を指導
1905(明治38)
上京し白馬会展で滞欧作品を発表
1906(明治39)
黒田清輝とともに学習院女学部講師を委嘱される
1907(明治40)
東京府勧業博覧会に「誘惑」を出品し注目される
学習院女学部助教授に任命される
1907(明治40)
病気のため学習院を辞し帰郷
1911(明治44)
静養のため帰郷していた地御前で没