文化遺産オンライン

坐せる女

ざせるおんな

概要

坐せる女

ざせるおんな

油彩画

南薫造  (1883(明治16)年-1950(昭和25)年)

ミナミ・クンゾウ

明治41年/1908年

油彩・画布

112.1×83.3

1面

南薫造《坐せる女》

1910年(明治43)、約2年半のヨーロッパ留学を終えて帰国した南は、第4回文展に滞欧作≪坐せる女≫を発表した。物思いにふけるように、テーブルに頬杖をつく女性。暗色の衣服が、画面に落ち着きをもたらしつつ、肌のみずみずしさをひきたてている。
描かれているのは、南が人物画を学んだロンドンの学校で、モデルを務めていた女性。後日、個人的に雇い、アトリエでポーズをとってもらったという。細かく丁寧な筆遣いで、女性の柔らかな肌や髪の軽やかさ、硬い花瓶といった質感を丹念に描写。落ち着いた色調の画面に、花や刺繍糸が程よく彩りを添え、女性の内面を映したように、物柔らかな気配に満ちた室内情景が描き出されている。
色彩と描写、画題とが調和した本作は、「場中出色の作」と好評を博し、文展で三等賞を受賞。「上品なニュアンス」や豊かな「色彩的言語」により画壇での評価を一躍高め、画業を代表する一点となった。

【作家略歴】
1883(明治16)
広島県呉市に生まれる

1907(明治40)
東京美術学校を卒業後、渡欧

1910(明治43)
帰国 「南薫造 有島壬生馬滞欧記念絵画展覧会」(白樺社主催)開催
第4回文展に出品、三等賞受賞(以後、第7回文展まで連続受賞)

1913(大正2)
第1回日本水彩展に出品

1916(大正5)
インドに旅行 第10回文展審査員となる

1925(大正14)
朝鮮半島に写生旅行

1930(昭和5)
展覧会審査のため台湾に渡り、各地を旅行

1932(昭和7)
東京美術学校教授となる

1935(昭和10)
広島県産業奨励館で個展を開催

1936(昭和11)
展覧会審査のため、朝鮮半島北部に渡る(1942年にも渡航)

1937(昭和12)
帝国芸術院会員となる

1939(昭和14)
陸軍省嘱託として中国の戦跡を巡る

1944(昭和19)
郷里に疎開 帝室技芸員となる

1950(昭和25)
郷里で死去

坐せる女をもっと見る

南薫造をもっと見る

広島県立美術館をもっと見る

キーワード

出品 / 受賞 / / 文展

関連作品

チェックした関連作品の検索