松代城跡
 附 新御殿跡
まつしろじょうあとつけたりしんごてんあと

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城跡 / 中部 

長野県
長野市松代町
指定年月日:19810411
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

 天文22年(1533)、武田晴信(信玄)が村上義清を越後に走らせて以来、川中島の一帯は、ほぼ武田氏の領有するところとなった。晴信は、上杉景虎(謙信)の来侵に備え、また、領内諸豪の反覆を抑えるため、もと清野氏の居館跡といわれた地一帯に築城し、春日(高坂)昌信をして守らせた。これを海津城という。その築城の年代は明らかではないが、弘治3年(1556)頃工を起こし、甲越の両軍火花を散らして相争った永禄4年(1561)の川中島の戦の頃には完成したらしく、この激戦の際、海津城は武田軍の拠点となった。
 天正10年(1582)、武田勝頼、天目山麓で自刃して武田氏が滅ぶと、武田氏領は織田信長の有となり、3月、信長の部将森長可、海津城に入って18万石を領したが、6月、信長が本能寺の変で明智光秀に討たれてまもなく、上杉景勝、川中島の地を収め、村上景国に海津城を守らせた。景勝の若松移封のあとを受けて、慶長3年、田丸直昌が入部、慶長5年、関ヶ原の戦ののち、徳川家康は森忠政を川中島に封じ、13万石を与えた。この時、海津城は待城と改められたと伝えられる。
 慶長8年(1603)、松平忠輝、18万石を領して入部し、松城と改称したという。元和2年(1616)には、松平忠昌(12万石)が、同4年には酒井忠勝が10万石を賜って城に入ったが、元和8年、忠勝の鶴岡移封のあとを受け、真田信之が13万石に加増されて上田より松城に入封して以来、真田氏が松城を領有し、10代幸民の時、明治維新を迎えた。この間、正徳元年(1711)、3代藩主幸道の時、城の字を代と改めて松代と書くようになっ…

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