田淵氏庭園
たぶちしていえん
概要
製塩業を中心に、赤穂の資産家として財を成した田淵氏の住宅庭園である。赤穂御崎に位置する三崎山の傾斜面に当たり、麓部に位置する居宅の周辺から背後に続く傾斜面の中腹にかけて、石組の池や茶庭から成る庭園が展開する。
表門から主屋及び書院の玄関へと至る導入部には、飛石沿いに露地庭又は坪庭風の庭園が展開し、書院の背面には岩盤を穿って造られた池がある。書院は寛政2年(1790)以前に造営されたもので、書院から池に向かって左側の傾斜面には高さ約4mの滝石組があり、池の右側に架かる石橋を渡ると、飛石づたいに傾斜面の上方へと登ることができる。勾配が緩やかになり飛石が延段に変化した頃、右手に腰掛待合とともに2階建の明遠楼が現れ、さらに飛石に沿って歩を進めれば、左の蹲踞を経て明遠楼階下の寄付へと到着する。
明遠楼は宝暦年間に藩主森忠洪のお成りに合わせて建てられたとされ、もとは赤松滄州が「嘯風楼」と命名したが、明治6年(1873)に伊藤東涯の扁額を入手したことから「明遠楼」と改称したとされる。その意匠は簡素で優美であり、階上から塩田の眺望を意図した作意は傑出している。
また、明遠楼に対面して巡らされた木塀には中潜りが設けられ、その内側には茶室である春隠齋を中心に待合い・蹲踞などから成る内露地が展開する。
このように、山裾の書院と斜面上方の明遠楼や春隠齋などの建築群は茶の湯の儀礼を通じて一つの庭へと溶け合い、それらが持つ芸術上・観賞上の価値は極めて高いことから、名勝に指定した。