桜田御屋鋪指図
さくらだおやしきさしず
概要
佐賀藩の江戸桜田上屋敷は歴代藩主夫妻の居宅として用いられた。本図は「嘉永三年戌十一月吉日」の年記があることから、10代藩主鍋島直正の時代にあたる嘉永3年(1850)に作成されたことが差図。
9代佐賀藩主鍋島斉直正室幸姫の子である直正もここで誕生した。2~12歳までを溜池中屋敷で過ごした直正が桜田に戻ってきたのは、文政8年(1825)11月9日。盛姫(11代将軍德川家斉女)との婚儀直前のことだった。桜田上屋敷では将軍德川家斉の姫君である盛姫を迎えるための大規模な増改築が同年までに行われた。新御殿の完成を待って婚儀が整い、世継ぎながら直正・盛姫夫妻が桜田上屋敷を居に定め、9代藩主斉直・幸姫夫妻は異例ながら溜池中屋敷に移り住むこととなった。
のち盛姫は弘化4年(1847)に逝去し、同年に直正は継室として田安徳川家から筆姫を迎えた。本図が作成された嘉永3年(1850)当時は、御広式(北御殿)に筆姫や直正長女の貢姫らがいた。