和田岬・湊川砲台(台場)関係史料
わだみさき・みなとがわほうだい(だいば)かんけいしりょう
概要
和田岬・湊川砲台(台場)は、西宮・今津砲台とともに、幕府が大阪湾防備の強化を目的として、文久3年に築造を開始した近代的な洋式台場である。中央に石堡塔とよばれる円筒形の石造砲塔を備え、周囲に五稜郭型、または円型の外郭を設けている。
現存する和田岬と西宮の石堡塔は、大正10年(1921)と翌11年に国史跡に指定された。この際、「和田岬砲台」「西宮砲台」の名称が採用されたため、一般には「砲台」と称されるが、築造当時の名称は「台場」である。
この台場群の築造は、幕末期における幕府の軍事・外交政策と密接な関わりを持つ事業であり、その実態を示すものとして本史料群の歴史的意義は大きい。平成13年(2001)に神戸市が購入した。
(文 書)本文書群は台場築造を請け負った嘉納次郎作から和田岬・湊川両台場築造の現場責任者を任された森清之助のもとで作成され、御台場掛の決裁を受けた書類、又はその写しである。
本文書群を構成するのは、石堡塔の石積みや漏水施工、内部建物に使用する木材や鉄具類の調達、石堡塔の周囲に配される外郭にかかる入用帳・目論見帳・出来形帳などである。これらの文書は、台場の各部に使用された資材の規格や仕様、工法等に関する建築学的なデータを示すものである。また、諸資材の価格や職人・人足らの賃金、両替相場の変動など、当時の社会状況に関する情報も読み取ることができる。
(絵 図)絵図は10点で、石堡塔の構造図と外郭図が詳細に図示される。これらから得られる情報には、現存する「和田岬砲台」の石堡塔を全面的に解体しなければ知りえない技術的な知見や、現在は失われた部分に関する情報も含まれている。
これらの文書と絵図は、激動する幕末において、幕府が推進した台場群の築造実態を明示する史料として、高い歴史的価値を有するものである。