御書状 三条実美宛 明治四年六月十一日 おんしょじょう さんじょうさねとみあて めいじよねんろくがつじゅういちにち

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明治 / 日本 

静寛院宮(和宮 親子内親王)  (1846-1877)
せいかんいんのみや かずのみや ちかこないしんのう
日本
明治時代/1871
紙本墨書
18.0×97.2㎝
1
広島県廿日市市大野亀ヶ岡701
海の見える杜美術館

 嘆願の甲斐あってか、徳川家の家名存続も認められ、慶応四年(一八六八)四月十一日、江戸城は新政府軍に戦乱を起こさず引き渡された。和宮は書中にある清水屋敷に移居し、徳川家の駿府移封を見届けて、翌明治二年(一八六九)二月、京都に帰住(旧朝彦親王邸)した。
 明治天皇の勧めもあって再び東京に移住するのだが、借りていた徳川御三卿の一つ清水家の屋敷は広すぎる(日本武道館から科学技術館)ので、少し狭い所を準備してほしいと願っている書状である。明治七年(一八七四)七月麻布市兵衛町(六本木一―一九付近)の邸宅に移住した。およそ三年ほど居住したのち、明治十年(一八七七)九月、波乱に満ちた三十二年の短い生涯を閉じた。
(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)

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