御書状 橋本少将宛 慶応四年正月二十日 おんしょじょう はしもとしょうしょうあて けいおうよねんしょうがつはつか

江戸 / 日本 

静寛院宮(和宮 親子内親王)  (1846-1877)
せいかんいんのみや かずのみや ちかこないしんのう
日本
江戸時代末期/1868
紙本墨書
16.2×151.4㎝
1
広島県廿日市市大野亀ヶ岡701
海の見える杜美術館

 仁孝天皇第八皇女。有栖川宮熾仁親王と婚約したが、政治に翻弄され、文久元年(一八六一)十四代将軍家茂へ降嫁となる。翌年婚儀が行われたが、わずか四年後の慶応二年(一八六六)七月死別。同年十二月薙髪して静寛院と称した。
 本状は、慶応四年(一八六八)正月、薩摩・長州藩兵側に錦旗が与えられ、徳川幕府が朝敵となったことを受けて、東海道先鋒総督兼鎮撫使の橋本実梁に宛てたもの。内容は、「当家朝敵の汚名を残」すことは「実ニ残念」。「汚名を雪」ぐことを私の命に代えて願います。「官軍差下され御取つふし」するならば「覚悟いたし」ます。命は惜しくない・・・。
 十六歳で輿入れし、二十歳で夫と死別。命がけで嫁ぎ先を守る、二十二歳の若き決意が墨蹟から伝わってくる。この書状以外に、明治天皇宛他の嘆願の書状が残されている。
(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)

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