窪田越後一族の墓 くぼたえちごいちぞくのはか

住居建築 / 室町  安土・桃山 / 九州 

熊本県
室町時代・安土桃山時代/天正8年(1580)長善
文禄2年(1593)頼豊
五輪塔
長益の墓 総高
長善の墓 総高125cm
頼豊の墓 総高120cm
15基
錦町大字木上東岩城351番地の1
錦町指定
指定年月日:20160301
有形文化財(建造物)

越後は相良家17代晴広の時代木上の地頭として岩城に居住し、天文16(1546)には賀茂神社及び上田天満宮、天文18年(1549)には葛掛神社の再興や修造を行っている。特に永禄2年(1559)球磨郡を二分して戦われた“獺野原の戦い”で越後は木上の兵を率いて18代義陽のもとで大きな戦功をあげ勝利に導き、戦後恩賞として越後に水田5町3反が与えられたが、越後は戦の手柄は木上の兵の力によるもので、自分の恩賞に替え、山の少ない木上村に大平山を与えてほしいと願った。義陽はこの申し出に感服し水田を越後に、大平山を木上村に与えた。この時から、現在に至るまで大平山は木上村の飛び地として建築材や薪炭等を得る大切な山となっている。越後は天正8年(1580)に亡くなったが、木上村の人々にとって最大の恩人として現在に至るまで感謝されている。
 昭和55年(1980)窪田越後の400回忌を祈念して旧木上村の村社であった木上賀茂神社に「窪田越後守長善命(くぼたえちごのかみながよしのみこと)として合祀された。

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