春日版五部大乗経〈伊予国光明寺伝来〉
かすがばんごぶだいじょうきょういよのくにこうみょうじでんらい
概要
五部大乗経は平安時代後期から室町時代にかけて、一切経に代わる最も功徳がある総合経典として国家安穏・五穀豊穣を祈願するため重要視された。鎌倉時代後期には奈良の興福寺で、中国の宋版・元版を模した版本の印刷経が春日版のうちとして刊行された。光明寺の版本五部大乗経はその春日版の版木によって鎌倉時代後期に印刷された版経で、殊に注目されるのは光明寺経の『大般涅槃経巻第一』の帖末にある宋版の刊記で、春日版が版本の製作の手本とした中国の宋版がかつては北宋時代の景祐4年(1037)11月に杭州の大中祥符寺で印刷された北宋版であったことを明らかにしている。
この光明寺所蔵版本五部大乗経は、奥書によれば南北朝時代の延文4年(1359)に讃岐国三崎荘(香川県詫間町)の船積寺に僧蓮阿によって寄進されたが、その後、同じ南北朝時代に伊豫国志津川の大興禅寺の住持慶恩が買得し、本寺である同国福角の信福禅寺に寄進したもので。その後光明寺に移った。同寺の縁起には享保18年(1733)の天下大飢饉にさいしこの経を読経したところ暴風雨が起こったと記していて、この五部大乗経が雨乞いにも功徳がある御経として信仰されていたことを伝えている。
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愛媛県歴史文化博物館