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村田蔵六書状〈安政四年五月四日/大野宛〉

むらたぞうろくしょじょう

概要

村田蔵六書状〈安政四年五月四日/大野宛〉

むらたぞうろくしょじょう

文書・書籍 / 江戸 / 愛媛県

村田蔵六(大村益次郎)

むらたぞうろく(おおむらますじろう)

江戸時代末期/安政4(1857)年

紙本墨書

1通

愛媛県西予市宇和町卯之町4-11-2

愛媛県歴史文化博物館

村田蔵六(大村益次郎)が宇和島藩士の大野昌三郎に宛てた書状。この書状でも、蔵六は幕府老中の阿部正弘のことを「大神宮様」と記し、自らが創設した講武所のことを自慢しているが、「大神宮様」自身の神楽、つまりは福山藩の軍備は未だに弓矢のうえ、古い長沼流を用いていると皮肉っている。
その次に登場する布清恭は、宇和島藩領近永村出身の蘭方医。安政3(1856)年に長崎に赴き、蘭医学を吉雄圭斎に学び、エレキテルを購入して宇和島に帰ってきている。宇和島時代の蔵六とは、蘭学を通じての交流があり、そのよしみで書籍の売却を蔵六に依頼したものと思われる。異国船に乗ろうとして罪を得た吉田何某とは吉田松陰のことだが、同じ長州人であっても接点がなく、蔵六は松陰のことをよく知らなかったのであろう。佐久間象山、高島秋帆の動向についても記しているが、いずれも自分と同じように蘭学で身を立てている人物で、気にかけていたものと思われる。

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