披雲閣庭園 ひうんかくていえん

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庭園 / 大正 / 中国・四国 

香川県
大正
香川県高松市
指定年月日:20131017
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

 玉藻城の異称で知られる讃岐の高松城は、瀬戸内海に臨んで築かれた海城である。天正16年(1588)に生駒氏により築城されたが、寛永19年(1642)に松平氏の居城となり、寛文年間(1661〜1673)から延宝年間(1674〜1681)にかけての大改修を経て完成した。明治維新の後は老朽化した多くの建築が取り壊されたが、大正3〜6年(1914〜1917)に第12代当主の松平賴壽(1874〜1944)が、かつて三の丸に存在した藩主御殿の跡地に、新たな迎賓施設として現在見る披雲閣の建築及び庭園を造営した。幕藩時代の旧藩主が近代以降の城跡に造庭した大規模な庭園は、披雲閣庭園をおいて他に類例がない。
 披雲閣庭園は大きく4つの部分から成る。第1は三の丸の正門であった桜御門跡から表玄関へと至る導入部、第2は大書院と「蘇鉄の間」との間の庭園、第3は各建築群とそれらを結ぶ廊下によって囲まれた4つの壺庭、そして第4は大書院、「槙の間」(2階は「波の間」)、「松の間」、「藤の間」の北側に広がる主庭である。
 第二次世界大戦の戦火により焼失した桜御門跡から表玄関へと至る現在の導入部には、中央の植栽樹木及び庭石の廻りに園路が周回し、披雲閣の表玄関及びその左右に連続する建築・塀に沿って樹木が植えられるなど庭園的な修景が行われている。しかし、作庭当時に撮影された写真からは、樹木植栽を伴わない砂利を敷き詰めただけの空間であったことが知られる。
 表玄関を入って左手の「蘇鉄の間」に至ると、北側の大書院を背景として、緩やかに盛り上がりを見せる2つの築山とその上に叢生する豊かな株立ちの一群のソテツから成る比較的小規模な壺庭風の庭園が広がる。複数の柱と…

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