Mt. WHITNEY
概要
アメリカのユタ州に生まれた金光は、日本で教育を受けさせたいという両親の希望により父親の郷里広島で幼少期を過ごした。その後アメリカ陸軍に徴兵され、ヨーロッパ戦線に従軍した際、ピカソやマチスらに出会う。これを機に、除隊後あらためて渡仏してレジエに学んだが、その後アメリカに帰り、国吉康雄に師事。アクションペインティング最後の大家と評価され、事実、激しい色調の大作が多いが、この作品は珍しく墨流しにも似た東洋的な表現をとっている。作品名となっているホイットニー山の麓には、戦時中、日本人の多くが収容されていたマンザナール収容所があった。晩年、金光はこの収容所の跡地を訪れているが、この作品はそのときの印象を基に描かれたもの。日本とアメリカ、二つの祖国の狭間を生きた金光がこの表現手法を選んだのは、テーマがもたらす必然だったのかもしれない。