等妙寺 法衣一式(法衣・袈裟・座具)
とうみょうじほういいっしき(ほうい・けさ・ざぐ)
概要
等妙寺 法衣一式(法衣・袈裟・座具)
とうみょうじほういいっしき(ほうい・けさ・ざぐ)
愛媛県
室町
法衣は上下別で、絹糸の平織り、とても柔らかく軽い。袈裟は七条袈裟で、地は経緯絹で、精錬されず、撚りのない生糸で織られている。組織は綾織りで入子菱模様、色は黄色で、天然染料による。条の部分は経が絹糸で、緯は木綿の糸と銀糸で織られ、雲に交互に向かい合わせた鳳凰模様がみてとれる。地の破損が著しく、条の部分は色褪せて銀糸は銀が剥がれ落ちているが、非常に繊細な作りで軽い。
座具は、縁の部分が袈裟の条の部分と同じ繻子織りで、素材の中心部分は麻による平織り。
法衣 上:幅200㎝ 丈120cm 重さ200g、下:幅116cm 丈86cm 重さ142g
七条袈裟:縦 112cm × 横254cm 重さ 389g
座具:縦 78.8cm × 横 104.3cm 重さ 232g
法衣上下各1点、袈裟1点、座具1点
愛媛県北宇和郡鬼北町大字芝612番地
鬼北町指定
指定年月日:20130326
等妙寺に後醍醐天皇より下賜されたものとして伝わる香色の法衣、黄緞七条袈裟及び座具である。
宗教法人等妙寺 代表役員 関 秀 圓
有形民俗文化財
中世等妙寺は、京都法勝寺を本寺とする天台律宗の戒律寺院として元応2年(1320)に静義上人(理玉和尚)により開基・開山されて以来、天正18年(1588)に焼失するまで当地域の拠点寺院として繁栄した名刹である。近世に至ってからも宇和島藩伊達氏の庇護により存続され、東叡山寛永寺の末寺になるなど、高い寺格を有していた。現在継承される寺宝は、天正16年(1586)の戸田勝隆宇和郡入りの折に寺宝寺領を没収され、散在していたものを伊達宗時が収集し納めたものと伝えられる。