清宵
せいしょう
概要
本作品は,明治中期から大正期を代表する彫刻家の一人である米原雲海(よねはらうんかい)の手になるもので,月光に照り映える梅樹の下で詩想を練る11歳の菅原道真(すがわらのみちざね)(845~903)を主題とする。
米原雲海は,明治2年(1869)出雲国安来(現島根県安来市)に生まれた。本名は,木山幸太郎。のちに米原家の養子となり,米原姓を名乗る。初め建築彫刻を学び大工となったが,京都や奈良の彫刻に触発されて彫刻家を志し,明治23年には上京して,高村光雲(たかむらこううん)(1852~1934)に師事した。その後,日本美術協会展や内国勧業博覧会等で受賞を重ね,山崎朝雲(やまざきちょううん)(1867~1954)とともに光雲門の双璧と称された。明治27年には,師光雲の号にちなみ雲海と号した。明治28年には東京美術学校雇(やとい)となり,同30年まで勤務する。西洋彫刻の制作法も採り入れ,明治30年には石こう原型をもとに比例コンパスを使って拡大する技術を用いて《ジェンナー像》を制作し,木彫界に革命を起こした。明治40年には岡倉天心(おかくらてんしん)(1863~1913)の下,山崎朝雲や平櫛田仲(ひらくしでんちゅう)(1872~1979)らとともに日本彫刻会の結成にも参加し,以降,東洋的な題材の作品を多く制作する。文展や帝展の審査員も歴任し,大正8年(1919)には長野善光寺の仁王像を光雲との合作により完成させる。大正14年死去。
本作は,明治40年の東京勧業博覧会で一等賞,明治43年にロンドンで開催された日英博覧会で金賞を受賞した作品で,米原雲海の代表作である。
幼少時代の菅原道真が,月夜の梅花に感じて漢詩を詠んだエピソードに基づくもので,あどけなさの残る稚児衣装の少年が,筆を持った右手を胸元の高さに掲げ,身体に沿って下ろした左手には懐紙を携えた姿を写す。視線はわずかに右上を向けて梅を見つめ,思いにふけるかのような表情を見せる。本作も石こう原型をもとに比例コンパスを使って制作されたと考えられる木彫作品であり,西洋彫刻のように,人体の解剖学的な理解をふまえながら,過度の物語性を排除しつつ,量感ある人物像を創り出すことに成功している。
日本彫刻の伝統をくみ,日本の伝統的な主題を扱いながらも,西洋彫刻の優れた部分を採り入れる積極的な姿勢が現れた作品で,芸術的な完成度が高いばかりでなく,明治期における我が国の近代彫刻発展の過程を示す作品として,近代彫刻史上重要な作品である。
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