旧第一合同銀行倉敷支店
きゅうだいいちごうどうぎんこうくらしきしてん
概要
旧第一合同銀行倉敷支店は、大原孫三郎(1880-1943)の父大原孝四郎(1833-1910)が明治24年に頭取として設立した倉敷銀行本店の跡地に建てられた。大正8年に大原孫三郎は、倉敷銀行、天満屋銀行、倉敷商業銀行、鴨方倉庫銀行、茶屋町銀行、日笠銀行の6行を合併し、頭取として第一合同銀行を創設した。本店は岡山市に仮店舗として設置していた。
建物の建設については、大正9年頃に倉敷銀行本店の解体が始まり、大原孫三郎から依頼された薬師寺主計(当時、陸軍省経理局技師・大原家建築顧問・東京帝国大学工科大学建築学科卒・総社出身・1884-1965)の設計により、大正10年10月に薬師寺が大原に推挙した藤木正一(藤木工務店の創設者)の施工よって着工された。契約金は、92000円であった。工期は10ヶ月で、大正11年8月に竣工し、8月21日に開業している。
建物名称の変遷としては、昭和5年に他行を合併し中國銀行と名称を変えたことによって中國銀行倉敷支店となった。そして、昭和51年に中國銀行倉敷本町支店となり、平成2年には、企業名を中国銀行と文字を変え、平成15年からは中国銀行倉敷本町出張所となった。現在は、平成28年3月に銀行の営業業務を閉じ、建物は大原美術館に寄贈され、キャッシュコーナー部分を除き使用されていない。