木造金剛力士立像
もくぞうこんごうりきしりゅうぞう
概要
平成10年の保存修理の際、阿形像の胎内から4枚の木札が発見された(修理後、像内に再納入)。4枚の木(もく)札(さつ)には墨書が記され、それぞれ康(こう)正(しょう)3年(1457)、慶長(けいちょう)6年(1601)、正徳(しょうとく)5年(1715)、寛政(かんせい)12年(1800)に製作されたことがわかる。このうち、最も古い康正3年の木札は本像の造立時のもので、慶長6年以下の3枚は本像の修理時のものである。康正3年の木札の記述によると、本像は康正2年2月9日に造立が開始され、翌康正3年6月1日に完成した。造立にあたっては多数の僧俗が結縁(けちえん)し、長弁(ちょうべん)法(ほう)眼(げん)および大工衛門四郎(えもんしろう)が製作に携わった。さらに慶長6年の木札から、本像は当初、大門とともに天台宗の古刹である常(じょう)楽寺(らくじ)(湖南市西寺)に安置されていたが、豊臣秀吉によって伏見城に移され、慶長6年に徳川家康によって園城寺に寄進・移築されたことがわかる。