国泰寺山門指図(二十分の一) こくたいじさんもんさしず(にじゅうぶんのいち)

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文書・書籍 / 明治 / 富山県 

富山県高岡市
明治期
紙・墨画
〔本紙〕縦101.0cm×横132.5cm
1
富山県高岡市古城1-5
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡市太田の西田地区にある臨済宗国泰寺派大本山・国泰寺山門の設計図、いわゆる「指図」である。右に「西田国泰寺/山門二十分一図」と表題があり、縮尺は20分の1とわかる。
数か所に訂正図が貼付(一部ハガレ)されており、また年代や作者銘などの記述がないことなどから、完成図ではなく、検討段階の図面と思われる。
現在の山門と比較すると、図面にある二階部分、及び降棟(くだりむね)が無いことや本瓦葺き(現在は桟瓦葺き)であることなど大きな違いがみられる。改修後に現在の姿に改変された(または廃案になった)可能性もあり、当初の資料を捜索する必要がある。
また年代も調査中だが、「氷見(ママ)の国泰寺は維新以来、廃仏毀釈の余波を受け、その荒廃は甚だしかった。第五十四世住職越叟義格はその再興を企て、山岡鉄舟の援助により、明治十六年六月天皇から本堂修理費の御下賜品を賜った。このようにして次第に気運が高まり、五十五世雪門玄松の時、明治二十一年諸堂舎の完成を見た。」(※)とあるが、実際は明治22年に天皇殿、明治22~26年に山門、明治26年に禅堂の建築となっている。よって山門は、明治22~26年頃竣工の可能性がある(ちなみに山門の左右にある仁王像は明治42年(1909)、高岡市の仏師・本保義平の作)。
状態は極めて悪く、シミ・ヨゴレ・ハガレ・傷みなどがみられる(早急に修復の必要がある)。また、おそらく天と地(上と下部)に欠損があると思われる。
しかし、昭和57年採訪の「国泰寺文書目録」(『富山県公文書館文書目録 歴史文書九』平成5年)には本図をはじめ、絵図・地図類の記載が無く、貴重な新史料といえる可能性がある。
※『富山県史』通史編Ⅴ 近代上(富山県、昭和56年)、p1083

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