「越中国射水郡高岡地図」
えっちゅうのくにいみずぐんたかおかちず
概要
明治前期の高岡町が描かれた絵図である。
折り畳み式で橙色の表紙と裏表紙がある。表紙中央部には題箋が貼られ、縦書きで「越中國射水郡髙岡地圖」と旧字で墨書されており、文字全体を印刷された黒枠で囲んでいる。「越」の上に白文方印「柳處」が捺されている。同じ印は展開時の本図の右上と左下にも捺されている。加えて、左下の印には、上から白文円印(印文不明)が捺されている。おそらく、本資料の所蔵者と思われる。
本図上部には方位記号が描かれている。
本図下部の「凡例」には17の色分けや記号が書かれている。黄色が「高岳((ママ))町領」、藍色が「横田村領」、緑色が「鴨島村領」、白色が「上関村領」、黄土色が「下関村領」、赤色が「薼除村領」、灰色が「出来田村領」、青色が「井口本郷((ママ))村領」、水色が「中川村領」、黄緑色が「湶分領」、橙色が「開発村領」、群青色が「四ッ家川原村領」を表している。
続いて、青線が「堀又ハ川」、橙線が「官道」、赤線が「支道」、緑線が「一町堺」、点線が「町村堺」を表している。
また本図には作者、年代等の記載はないが、高岡城跡内の記載情報が年代特定のヒントになる。大手口からの土橋には「公園」(明治8年7月4日~)、本丸には「射水神社」(同年9月16日~)、鍛冶丸には「郡役所」(同13年5月~/※1)などとあるが、二の丸には「治安裁判所」(同14年(1881)12月28日~/※2)とあり、本史料の年代はこれ以降の可能性を示す。そして、凡例には「高岳町」とあることから、明治22年(1889) 4月1日の市制施行より以前の可能性が推察される。
本図と類似の当館蔵の絵図は、「越中国射水郡高岡全図」明治8年(I-1-18)や「新川県官下第十八大区越中国射水郡高岡町地盤并各邑請地等区分之絵図(写)」明治7年(未登録/「和田ファイル」1-1)が挙げられるが、共に描法などが異なる。
高岡城跡と瑞龍寺や利長墓所がほぼ同じ大きさで描かれていることから、本図の縮尺は正確といえず、「見取絵図」といえるものである。
資料状態は、虫食いと汚れが所々に見られる。
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【注】
※1・・・『高岡市史』下巻(高岡市、昭和44年)p1157
※2・・・松本哲泓「富山県の裁判所の歴史②」平成19年(HP「裁判所/各地の裁判所/富山地方裁判所・富山家庭裁判所/富山地方・家庭裁判所について/富山地方・家庭裁判所の紹介」)p1(平成29年3月24日アクセス)