小菅の仁王門
こすげのにおうもん
概要
小菅地区に残る寺院、神社建築は中世の小菅山元隆寺として形成されたのが始まりとされる。戦国時代まで隆盛をきわめていた小菅は、武田軍により放火されたといわれ、多くの建造物を失ったが、近世以降飯山藩主などにより再興が図られたとされる。仁王門はもともと元隆寺の中之院に属する建造物であったが、武田の兵火で焼失後、修復された記録が残る。建立に関する資料は不明であるが、出梁先端や実肘木の渦、若葉の絵様や虹梁の彫りの浅い絵様などから17世紀後半の様式を持っているとされている。