大分郡原村絵図
おおいたぐんはるむらえず
概要
大分郡原村を描いた絵図。享保10年(1725)に原村の庄屋・組頭らによって作成されたもので、田地・畑・村・塩浜・道・境などの土地の利用が色分けされて表されている。別府湾に面した原村では小物成の一つとして「塩浜定運上銀」・「塩浜不定運上銀」が納められており、村内の向原村・妙見宮・住吉宮の周囲に広がる塩浜は、そうした盛んな塩づくりの状況をうかがわせる。また、北西に流れる(原川の分流)につながるかたちで村の北端に水路と正方形状の「船入」が開かれ、「船入」の側には「御城米御蔵場」も置かれている。当時延岡藩領であった同村には、記録によると、大分郡と直入郡の幕府領から集められた年貢米を積み出す港とその年貢米を貯蔵する蔵(浜蔵)が置かれており、絵図に表わされた「船入」・「御城米御蔵場」はそれらの施設等を描いたものとみられる。