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銅製経筒

どうせいきょうづつ

概要

銅製経筒

どうせいきょうづつ

考古資料

出土地:伝福岡県みやこ町入覚塔ケ森

平安時代 大治2年(1127)

青銅製

総高28.5 筒身:高23.0 口径7.5 高台径8.5 蓋:高6.0 径7.9

1合

経筒は、仏教の末法思想が流布した平安時代末期に、仏の教えを後世伝えるために行われた「埋経」に使われた経典の容器である。本作は青銅製で、筒身には節を表現する沈線がめぐらされ、高台は平面円形ながら蓋を花弁形に造り、蓋には相輪鈕造が付けられている。また筒身には明瞭な筆跡で7行にわたり線刻があり、「鎮西豊前国」「入覚」の国名・地名、「大治二年」「十一月」「四日」の年月日、勧進僧名、壇越名が線刻される。北部九州は経筒の出土量が国内でも圧倒的に多く、特に英彦山や求菩提山、宝満山など山岳信仰に関連する地域から出土することが多い。豊前国には英彦山六峰に数えられる求菩提山(豊前市)や蔵持山(みやこ町)が存在し、山岳信仰関連遺跡も多数残り経塚造営も盛んに行われた地域である。本作の形状には、求菩提周辺と英彦山北側の鷹取山周辺地域の経筒の特徴が観られ、英彦山六峰の経筒造営を知るうえで興味深い資料である。

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