壺鐙
つぼあぶみ
概要
金属でできたひと組の鐙(あぶみ)です。鐙とは馬に乗る人が足をかける道具です。上についているパーツは、革でできた紐などを通し、鞍からさげるためのものです。古墳時代の鐙は、最初は単純な輪の形をした輪鐙(わあぶみ)でした。しかし、不安定だったため、スリッパのようにつま先をすっぽりと覆う壺鐙(つぼあぶみ)が登場しました。この作品は、壺鐙の中でも特にしっかりと作られ、状態もよいものです。
日本列島に馬が普及するのは5世紀頃からです。6世紀になると、馬具(ばぐ)が副葬品(ふくそうひん)、つまり死者と一緒にお墓に入れるものとして多く使われます。これらの馬具は、もともとは儀式の際に格の高い人物が乗る馬を飾ったとされています。そのため、実用性もありますが、むしろその人物の力を人々に示す役割をもっていました。
この壺鐙も、他の馬具や儀礼用の複数の大刀などとともに、山口県長門市にある糘塚横穴墓(すくもづかおうけつぼ)から発見されました。横穴墓(おうけつぼ)とは、段丘の斜面などに穴をあけてつくったお墓の種類です。ともに発見された大刀は、ヤマト政権に仕えた有力な氏族である物部氏(もののべし)と関係があるものではないかとされています。この壺鐙も、ヤマト政権とのつながりを示すものと考えられます。長門市は日本海に面しており、ヤマト政権にとって、朝鮮半島との交易のために重要な港であったのかもしれません。