板倉勝重書状 いたくらかつしげしよじょう

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 / 江戸 

江戸時代・17世紀
紙本墨書
1通

 江戸時代のはじめ頃に書かれた手紙で、差出人は京都所司代(きょうとしょしだい)の板倉勝重という人物です。京都所司代というのは江戸幕府の職名で、朝廷との窓口の役割を果たしていました。宛先は朝廷側の連絡係である武家伝奏(ぶけてんそう)の広橋兼勝(ひろはしかねかつ)と勧修寺光豊(かんしゅじみつとよ)。武家と公家のあいだには、常に双方の連絡役がいたわけです。
 これは言ってみれば大使から大使への公式の書状ですが、その形式は、「折紙(おりがみ)」というカジュアルなものです。折り曲げない「堅紙(たてがみ)」に対し、略式でプライベートな内容や日常的なやりとりを書くことも多いのが、この折紙です。
 内容は、大御所様、つまり将軍を引退したあとの徳川家康が、現在の静岡県磐田市の別荘のそばで鷹狩りをし、鶴をつかまえた。その鶴を、上様、つまり徳川秀忠に献上するそうだ、ということを伝えています。一見、大変のどかな内容に読め、些細なことまで朝廷と幕府の間でやりとりをしていたことがうかがえます。
 鷹狩りとは、調教した鷹などの鳥類を放ち、鶴、鷺、野兎などを捕らえる狩猟です。武士にとっては、気晴らしやレジャー、身体鍛錬といった側面だけでなく、ステータスを示す権力の象徴でもありました。その鷹狩りでめでたい鶴を捕まえた、家康の健在ぶりを示しているのがこの書状です。

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