後深草天皇宸翰仮名消息 正安二年十一月十八日付
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概要
後深草天皇(一二三四~一三〇四)が、後土御門殿および新長講堂領忍海庄を皇<えい☆女+英☆>子内親王に譲与することを記した消息。後土御門殿は古くからしばしば里内裏として用いられていた邸宅で、邸内に建てられた新長講堂には数々の所領が「新長講堂領」として附属していた。文頭に見える「御所たう」とは、その「新長講堂領」を指す。 女性への消息であるため仮名の散らし書で書かれているが、年月日を明記し花押を据えている点が、普通の仮名消息と大きく異なる。これはこの消息が譲状としての機能をも合わせ持っていたため。後深草天皇は後嵯峨天皇の第三皇子で、名を久仁といった。