聖徳太子絵伝
しょうとくたいしえでん
概要
聖徳太子(しょうとくたいし)は、冠位十二階(かんいじゅうにかい)や十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)を定めるなど、天皇を中心とした中央集権国家の体制をうちたてた、飛鳥時代(あすかじだい)の政治家です。四天王寺(してんのうじ)や法隆寺(ほうりゅうじ)を建てるなど、仏教の興隆にもつとめました。
この作品は、聖徳太子の生涯を描いた3幅の掛け軸です。第一幅は太子が16歳から21歳までの間の11場面、第二幅は22歳から29歳までの間の13場面、第三幅は太子の死からその24年後の大化(たいか)の改新(かいしん)により蘇我入鹿(そがのいるか)が暗殺されるまでを描いています。場面の内容からすると、もとは8幅(ぷく)一組で太子の全生涯の物語をカバーしていたと考えられます。
興味深いエピソードがたくさん描かれているのですが、とても全部は紹介できませんので、ここではそのうちの一つをご紹介しましょう。
第二幅の下のほうを見てください。黒い馬に乗った聖徳太子が描かれています。これは、太子がまだ20代の頃のお話。太子が諸国から馬を献上させたところ、その中に1頭の神馬がいることを見抜きました。太子がその馬にまたがると、馬は天高く駆けて雲の中に消えていき、富士山を越え、現在の長野県、信濃国(しなののくに)まで行き、さらに今の福井県から新潟県にあたる越前(えちぜん)・越中(えっちゅう)・越後(えちご)を通って3日で都に駆け戻ったという伝説の場面です。雪をかぶった富士山を、聖徳太子をのせた馬が軽々と越えていく様子が描かれています。